- 第274回 -  筆者 中村 達


『スキーのあれこれ』

 ようやく初滑りができた。スキーを始めてから40年以上だが、1月も半ばになって初滑りというのは、もっとも遅かったと思う。それだけ滑る機会が減ってきたということでもある。同年代でスキーを続けている仲間は少なくなってきているし、不況がそれどころではない状況をつくりだしているようだ。

 スキーは老若男女がそれぞれの技術や経験に応じて楽しめる、冬の最良のアクティビティだ。とはいうものの、最近のスキー人口は競技指向の若者、都市近郊のお金もち、それに少しのファミリーに、ほぼ集約されたといわれている。一般のスキーヤーの年齢としては、中高年が目立つようだ。昔とった何とかで、再開したという中高年が多い。だから、どこのスキー場でも、シルバー割引などというリフト券がある。

 ようやく板が履けたこの日、土曜日だったので、ゲレンデはそこそこのスキーヤーが訪れていた。それでも例年に比べると、2~3割は減っているそうだ。

 さて、若者の消費行動に変化が見られ、モノ志向はすっかり陰を潜めている。車はいらないし、自動車免許証も必要ないという。お金は貯金して将来の為に備えるそうだ。なにしろ将来が不安で、人生設計が描きにくいということらしい。だから守りの姿勢に入っている。一番欲しいものはユニクロという調査もあった。
 こんな状況では、お金のかかるスキーやスノボーにまでには、とても至らない。スキーの板とブーツで、安いものでも5万円はする。それにスキーウェア、グローブ、ゴーグルなどが必要で、締めて10万円はかかる。そして、実際にスキーをしようと思えば、交通費、リフト代、食費、それに遠方では宿泊費も必要だ。なんやかんやで、結構な出費となる。これでは年収200万円以下が、3割を占めるといわれる若者たちが、スキーを楽しめる環境ではない。

 しかし、私がスキーにのめり込んでいた1970~1980年は、今以上に所得は低かった。
 スキーブーツを買うのに、やりくり算段に苦労したことを憶えている。給料の大半をスキーや山の道具につぎ込んだ。毎年めまぐるしく変わるスキーファッションに翻弄され、毎年のようにウェアを買っていた。余談だが、スキーの用具・用品は今もその当時も、同じような価格なのが不思議だ。
 その時代、信州行の夜行列車には長蛇の列が出来、積み残されたスキーヤーもおおぜいいた。都心部の主要ターミナルからは、おびただしい数のスキーバスがスキー場に向かった。サービスエリアで、自分の乗っていたバスを探し出すのに苦労したものだ。

 スキーはまさに売り手市場で、用具も、交通機関も、宿泊もすべてが思いのままにマーケットが作られていた感がある。スキー場では、リフト待ち1時間なんていうのも珍しいことではなかった。何しろスキーは、高い、寒い、まずいが定番だったが、それでも我慢して滑っていたように思う。レストハウスの美味しくないラーメンが1杯1,000円で、小豆がほとんど入っていない、紫色のお汁粉が600円なんていうのもあった。スキーの凋落は、実はこのあたりにも大きな理由があるように思う。

 それでもスキーはスポーツとして、娯楽として楽しく、国民的レジャーとなって、全国におよそ650ものスキー場が開発された。いま考えると異常である。
 当時、いまは給料が低くても、右肩上がりという期待があった。そして未来に夢があったように思う。だから少々高くついても、それはそれでいい、なんていう思いがあったのではないか。
 もちろん、遊びが増えたり、ライフスタイルの変化に伴う価値観の多様化など、レジャースタイルが大きく変動したのも、スキー離れの大きな理由だ。しかし、将来の人生に夢や希望がもてるようであれば、少々のチャレンジや無茶も出来るのではないだろうか。
 青春の一時期、スキーやアウトドアアクティビティ、あるいはスポーツにのめり込んでもいい社会環境も必要だと思う。

 一方で団塊の世代のリタイアが進み、彼らのライフスタイルについても語られているが、実は、遊びほど若い時代の経験がモノを言うものはない。前述した中高年スキーヤーが増えたといっても、全くの初めてという人は少数だろう。スキーに限らずアウトドアアクティビティは、すべて若いときの経験が重要だ。遊びをそこそこ楽しもうとすれば、それなりのトレーニングがいる。思いどおりのシュプールを描いて斜面を滑るには、かなりの練習をしておかなければならない。
 さらに、アウトドアズは若いときにしか獲得できない、感性のようなものがある。だから、子どもの頃からの体験が極めて重要に思う。

 さて、この日、子どもたちを集めたスキー教室が開かれていた。全員がヘルメットかぶっていた。いま、安全のためにヘルメットの着用がすすんでいる。嬉々とした子どもたちの表情を見ていると、ホッとするものがあった。しかし、その半面、彼らの生活環境を想像してしまうのは少し悲しい。お金持ちの家庭なのか、親がスキーフリークなのか、・・・。スキー場で、格差にまで思いが及び、やや複雑な心境であった。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト/プロデューサー
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際自然環境アウトドア専門学校顧問、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、NPO法人アウトドアライフデザイン開発機構副代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。