- 第250回 -  筆者 中村 達


『ことし初めてのフライフィッシング』

 新型インフルエンザの流行で、知らず知らずの間に雑踏は避けるようになってしまっている。気分転換の書店通いも、さほど根拠もないのに躊躇しがちだ。
 天気がいいので午後になって、琵琶湖の北西部にある管理釣り場へ出かけることにした。アウトドアではそんな心配はない。今年になってはじめてのフライフィッシングだ。今シーズンは、いつになく出遅れてしまった。私の仕事場から琵琶湖大橋を渡り、湖岸沿いに北上しておよそ1時間で、その管理釣り場に着く。滋賀の田舎に住んでいる良さを、こんなときに感じる。それに、思いたったらアウトドアに出かけられるのがいい。

 管理人に「今日も誰もいないんですね。貸しきり状態?」と聞くと「そこがここのいいところです」。利用者にとっては願ってもないことだが、商売になっているのか、以前から少々気にかかっている。
 午後からの遊魚代3,000円を払って、早速、フライを落としてみた。すぐにワーッと虹鱒が寄ってきて瞬く間にフッキングした。何度投げても同じ状態で、どんなフライでも虹鱒が食らいついてきた。水面が盛り上がって、何匹もの虹鱒が銀色の魚体を見せた。これをボイルというらしい。おそらく、フライフィッシングのド素人でも、子どもたちでも難なく釣上げることが出来ただろう。面白いように釣れ、30匹までカウントしたが、そのあとは面倒くさくなってやめてしまった。腕もだるくなった。何がなんだか訳のわからない釣りになった。

 かつて日本の渓流は、こんな感じで岩魚や山女などの渓流魚が釣れたようだ。足に岩魚が食いついたとか、沢を渡ろうとしたら岩魚に足が当たって困った、などという話がまことしやかに語り継がれている。もちろん、尾ひれのついた話だろうが、飛騨山中で今日の管理釣り場と同じような経験をしたことがある。竿を入れるポイントごとに、入れ食いの状態が続いたことがあった。面白いようにいくらでも釣れた。

 だが、こんなことは稀で、天然の渓流魚は極めて少なくなっている。ダムや堰堤ができ、森が少なくなり、釣り人は増え続け、魚は激減した。
 そして、魚が少なくなって渓流釣りが難しくなるにつれ、釣り人も減少傾向にある。特に、渓釣りをする若者たちは、ほとんど見なくなった。天然魚と同様に希少種になった。

 管理釣り場とはいえ、季節によって棲息する昆虫が異なる。羽化の状態も日々変わるので、それなりに選択する疑似餌(フライ)も考える必要がある。それがフライフィッシングの面白さといえば、面白さである。この日は、魚が異常に活性化していて、何でもよかったが、いくら管理釣り場といっても珍しいことだ。釣れすぎるとメッソッドやセオリーがグチャグチャなって、ちょっとこれも困ったことである。魚には申し訳ないが勝手なものである。ともあれ、だれもいない自然の中でロッドを振り、爆釣りとはいえ、ひたすら釣りに集中した贅沢な時間であった。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト。
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際アウトドア専門学校顧問、NPO法人比良比叡自然学校常務理事、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。