- 第249回 -  筆者 中村 達


『立山春スキーの風景論』

 連休の後半に立山へスキーに出かけてきた。毎年のことで恒例になっている。昨年はケーブルの乗車口立山駅で、外国人観光客の多さにびっくりしたが、今年は金融不況の影響なのか、その数は激減していた。改札口のロビーは閑散として、少々拍子抜けだったが、空いているのは私たちにはありがたい。
 立山山麓駅からはケーブルに乗って美女平まで上がり、そこからはバスで終着駅の室堂に向かう。この時期多くの観光客は、室堂近くの「雪の大谷」の見物が目的だ。道路を除雪して出来た高さ10数メートルほどの雪の壁を見に行く。記念写真を撮って、トロリーバス、ロープウェイを乗り継いで、黒4ダムを見て大町へ抜けるか、もと来たルートを引き返す。これがGW立山アルペンルート観光の一般的なコースである。

 ただ、天気でも悪いものなら、外へは出られず室堂ターミナルは大混雑して、まるでラッシュ並みになる。しかし、どうしようもない。なにしろ標高2,500mだから5月でも雪が降る。
 ともあれ、交通機関にとってはありがたいお客である。乗ってくれて、お土産を買ってくれ、食べてくれて、荷物も少ない、さほど文句も言わない・・・多分。まして、訪れる多くの観光客はツアーで、お行儀もいいし、手がかからない。すべて添乗員が取り仕切ってくれる。しかし、私たちのような山スキーヤーや登山者は、ほとんどお土産は買わない、食べない、荷物は多い、時には文句を言う、そして下山時には汚いで、それほど歓迎されている風には思えない。
 だからかどうかはわからないが、バスの乗車時には荷物代がしっかりとられる。スキー1台300円。大きいリュックであればさらに300円。都合600円。往復1,200円が運賃に追加される。結果、山麓からの往復交通費だけで3,000円以上かかる計算になる。大町側からだと往復で倍以上かかる。これでは、山に登りに来てもらわなくていい、スキーヤーもスノーボーダーも同じ、なんて勘ぐってしまいたくなる。

 バスに乗車していると、必ずといっていいほど尋ねられる。スキーですか?どこを滑るのですか?寒くないですか?荷物は重いですか?などなど興味津々の様子だ。外国人観光客であれば、さらに質問が続くことになる。
 登山の時も同様だ。観光客にとって山上は別世界ではあるが、何かしら惹かれるものがあるに違いない。言い換えるなら、山上は憧れではあるが、人が登れるところでもあり、そこに魅力を感じる。特に立山は信仰登山で有名であるからなおさらだ。仮にこの山々に全く人が登らないのであれば、魅力は半減するかもしれない。そうなれば観光客だって激減する。

 やや我田引水ではあるが、もう少し登山客やスキーヤーを増やそうとする努力がみられてもいいのではないか。高い交通費に、さらに荷物代が加算されるとなれば、自然離れの著しい若い人たちは、いっそう引いてしまう。もっとも、この荷物代の売り上げが馬鹿にならないと、どこかで聞いた。本当だとすれば、悩ましいところではある。
 もうすぐ映画「点の記 剣岳」が公開される。この映画で立山登山は、ブレイクするかどうか。少なくとも観光客だけは増加するだろう。
 さて、今年の立山は雪不足が心配されたが、山の上部は例年並の積雪があったようだ。
 私たちが登った日は、あいにくの天候で、なすすべもなく山小屋でゴロ寝をする羽目になった。私にとっては、いい休養日になった。翌日も小雨。3,000mラインでは雪の気配だ。昼前、一時雲が切れたので、急いでシールを付けて一の越へ登った。一の越から黒部側に滑るつもりだった。しかし、息を切らして登ったものの、黒部側は完全なホワイトアウトで滑降を断念した。
 最終日、ようやく晴れたので再び一の越へ登り、滑り降りることが出来た。先日来の新雪が30cmほど積もっていた。新雪といってもこの時期のことだから、かなり重く条件はさほど良くはなかった。それに規模は小さいものの、表層雪崩の真新しい跡がたくさんあった。田んぼ沢では、目の前で轟音とともに雪崩が発生した。
 山スキーは豪快で、自由で気持ちがいい。しかし、ある程度のスキー技術と雪山登山の経験も必要だ。だから、中高年の経験者ばかりが目立つのだが、今年はその中高年山スキーヤーも激減していた。斜面に残るシュプールが少ないのが印象的だった。山小屋の主もスキーヤーがほとんどいなくなったと、ため息をついていた。

 減少が続くスキー人口の中にあって、山スキーは少数派ながらも堅調といわれているが、若者たちの参加が少ない。本当に希少種になっている。このままで先は真っ暗だ。そのことに関係者や業界は、もっと反応する必要があるように思う。スキーの原点はバックカントリーにあるはずだ。
 帰路、室堂の駐車場でツアーの添乗員が、コンクリートの上で車座になって、お弁当をぱくついていた。ターミナルの喧騒とともに、なんとも奇妙な風景をつくりだしていた。

(次回へつづく)


■バックナンバー

■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト。
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際アウトドア専門学校顧問、NPO法人比良比叡自然学校常務理事、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。