- 第213回 -  筆者 中村 達


『春の立山と外国人観光客』

 毎年のことだがGWの前半に、立山へスキーに出かけてきた。関西からだと富山県の立山駅からケーブルとバスを乗り継いで登山基地である室堂へ、というのが一般的なルートだ。関東からは、長野県大町市の扇沢からトロリーバスで黒四ダムを経由して、ロープウェイを2回、さらに雄山の直下をくりぬいたトンネルを走るバスに乗り換えて室堂に着く。これがいわゆる立山黒部アルペンルートだ。北アルプスの標高およそ2,500mの室堂に登るには、現代の交通手段を駆使しても、それなりに大変なことだ。
 立山は4月半ばには道路の除雪が終わり、雪の回廊ができる。ブルドーザーによって除雪された雪の壁は、今年は最高で16mに達した。この地点を「雪の大谷」というらしい。バスに乗っていると、景色が見えるのははじめのうちだけで、あとはずーと除雪された雪の壁を見続けることになる。それはそれで、珍しくもあり、楽しくもあり、感動的といえば、感動的だし、飽きるといえば飽きるし・・・まあ、そんな感じだ。

 麓のケーブル駅へスキー板を担いで入っていくと。あっちこっちでデジカメのストロボが光った。何を撮っているのかと思ったが、実は私たちが被写体になっていたのだ。どうやら外国人観光客の一団だ。顔立ちが日本人と似ているので見分けがつかないが、言葉で外国の人たちだとわかる。
 ターミナルは、日本人より外国人のほうがはるかに多い。東アジア、中でも台湾の人たちが圧倒的に多いと後で知った。この時季、立山は外国人観光客で占められているのだそうだ。彼らはとってもフレンドリーで、私たちが持っているスキーや装備品、服装が珍しいのか、カタコトの日本語、それに英語を交えて質問を矢継ぎ早に浴びせてくる。外国に出かけても、「サンキュー」「メルシー」「グッドモーニング」「ボンジュール」など、簡単な挨拶さえ出来ない日本人の旅行者を嫌というほど見て、恥ずかしい思いを何度となく味わってきたので、彼らの言動からは学ぶところが大きい。このあたりが、日本人がとかく国際的ではないといわれる所以かも知れない。

 ケーブルカーは満席だったが、立っている日本人のお年寄りを見て、外国人観光客が会釈して席を譲っていた。周囲の人たちもにこやかにお年寄りを迎えた。日本は観光立国を目指しているのだそうだが、彼らのように外国人を前にした振る舞いが自然にできるには、まだまだ遠いような気がする。インバウンドの前に、学習するべき課題は山ほどあるように思う。
 多くの外国人観光客は、彼らの本国にはない雪の山々を見に来ている。もちろん日本各地の観光地を巡る行程が組まれているが、この立山がツーアー上のハイライトのひとつになっているようだ。日本の美しい自然を堪能してほしいと願う。

 だが、せっかくの外国人観光客に、どんなメッセージを発信しているのか気がかりになった。環境教育とまでは行かないものの、環境問題が中心議題となる洞爺湖サミットの議長国としては、立山の自然についてもう少し地球的視点に立った情報の提供があっていいのではないか。分かりやすいメッセージの発信があってもいいのではないか。
 日本語のアナウンスがバスの中で流れているが、風景、立山開山の歴史、動植物のことなどが中心だ。中国語版、韓国語版などもあるようだが、おそらく日本版の翻訳程度ではないかと思う。雪の科学、降雪のこと、気象の経年変化、登山の歴史、人と山のかかわり方など、伝えるべき情報は多いように思う。貴重なチャンスでもあるわけだ。

 さて、今年のGW前半は昨年より雪が多く、その上、条件はさほど良くはなかった。雪のしまりかたが悪いのだ。グサッともぐる感じで重い。その上、降雪があって気温も下がり、ブリザードとなった。バスで隣り合わせたシンガポールから来た観光客が「明日は大丈夫か?」と尋ねたので「きっと晴れる」とこたえたのに、山は風雪になってしまった。いい加減なことを言ってしまった。
 それでもシールをつけて一の越まで登り、黒部側の田んぼ沢を、デブリを避けながら一気に滑り降りた。「山」をやっておいてよかったと思うのはこの瞬間だ。
 いつものことながら、山上には日本人の若者達の姿は少なかった。相変わらず私たちのような中高年ばかりだった。

 下山した朝、山はガスに包まれていた。視界が10メートルの雪の回廊を、バスは途中で数組のファミリー観光客を乗せて、カーブの続く道路を降りていった。車中は暖房が効きすぎてかなり暑い。パーカーをすぐに脱いだ。案の定、途中で乗ってきた子どもたちは、ほぼ全員が車酔いをはじめた。左の座席も、後ろの席も、袋に顔をうずめて、苦しそうに呻いていた。これじゃ、立山は二度と嫌だと思うに違いない。暖房を調整するといった気遣いはないのだろうか?往路のバスでも、大勢の乗客が暖房の熱気で参っていた。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアジャーナリスト。
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際アウトドア専門学校顧問、NPO法人比良比叡自然学校常務理事、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。