− 第202回 −  筆者 中村 達


『アウトドアウェアの今昔』

 年明け早々、アウトドアメーカーのA・W(秋冬)の商談会が、東京や大阪で開催されている。来秋冬モデルの受注会だ。この受注会を見れば来季の秋、冬のアウトドアウェアのトレンドがわかる。
 中高年登山ブームが下降気味のいま、登山用のウェアは買い替え需要は鈍っていて、売れ行きはパッとしない。それに代わって、トレッキングや旅・トラベルといったコンセプトに、デザインも機能もシフトしてきていて、それが好調だ。年率で10%程度の伸びだそうだ。ただ、少し年齢層が若くなったとはいえ、あいかわらずターゲットは中高年が中心だ。
 アウトドアウェアのメーカー出荷額はおよそ500億円で、トーレーニングウェア、ゴルフウェアに続く金額になっている。野球やサッカーなどよりも多い。 

 アウトドアウェアは機能性を抜きには語れない。防水・透湿(吸汗)は当たり前で、発熱がキーワードである。ドライ感もかなりハイレベルで要求されるようになってきている。このあたりが、各社の知恵の出しどころで、熾烈な競争となっている。
 一方で、アウトドアファッションブーム?もあって、若者たちのカジュアルウェアとして人気がでている。しかし、それらは一部欧米のブランドに限られていて、その上、彼らはフィールドには向かってはいない。このあたりが問題だろう。売れればいいってものではないような気がするのだが・・・。

 30〜40年ほど前は、冬山登山ではアンダーウェアはウールときまっていた。チクチクしてあまり着心地は良くなかったように記憶しているが、吸汗と保温には優れていた。
 長く着ていると背の部分がフェルト状に目が詰まって、その分、丈が短くなってしまった。仕方なく母親に毛糸を編んで、継ぎ足してもらったこともあった。
 当時アウターは、ヤッケとかアノラックとかいって、素材は綿からビニロンやナイロンに移り変わる時代だった。ナイロンは雪山で転倒すると、滑って止まらないから危険だとする意見があって、喧々諤々の論争となった。今から考えると笑い話だが、熱っぽく論議された。
 また、雪山での防水性などはさほど重要視されていなかったような気がするし、せいぜい防水スプレーをかける程度だった。レインウェアは撥水性だけだったので、汗で内側はずぶ濡れなんていう始末だった。1970年代の末期に夢の繊維などといわれたゴア・テックスが登場したが、まだまだ高価で、カラコルム登山でも隊員への支給装備は、わずかに撥水加工だけ施されたナイロンヤッケの上下だった。フリースウェアも商品化されたが高価で、その上、毛玉がいっぱいできて、取り去ると向こうが透けて見えた。

 一方、ここ数年ダウンジャケットが人気で、価格も驚くほど安く、1万円も出せば、そこそこのものが手に入る。私がはじめてダウンジャケットを買ったのが19歳だった。アルバイト代をすべて注ぎ込んで、清水の舞台から飛び込むような気持ちで手に入れたのが、今人気のモンクレーのダウンジャケットだった。当時25,000円もした。大学卒の初任給とほほ同額だったように思う。国産もあるにはあったが、外国製品に比べて、まだまだ品質は劣っていた。

 現代のアウトドアウェアは高機能高品質で、市販されている製品でヒマラヤ登山でも十分に耐えるものがほとんどだ。しかも、性能から考えると非常にリーズナブルである。
 アウトドアウェアはインターネットでも簡単に買えるようになったし、古着屋でも欧米のアウトドアブランドの品定めをしている多くの若者たちの姿をみかける。
 ただ、この国では若者たちがアウトドアウェアを着て、自然に出かけることが少ないのが大きな問題のように思う。

(次回へつづく)


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■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアコンセプター・ジャーナリスト。
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際アウトドア専門学校顧問、NPO法人比良比叡自然学校常務理事、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。