- 第197回 -  筆者 中村 達


『鬼塚喜八郎さんとサマータイム』

 先日、アシックスの創業者会長であった、故鬼塚喜八郎さんのお別れの会が神戸であり、参列させていただいた。鬼塚さんは、アシックスを世界でも屈指の総合スポーツメーカーに育てられた。
 私がはじめてお会いしたのは、1992年だったと思う。神戸アーバンリゾートフェアの協賛事業として、サンケイ新聞社が主催し、私がプロデューサーで、神戸国際会議場でアウトドアシンポジウムを開催した。ちょうどオートキャンプブームに火がついた頃で、アウトドアズが一躍注目された時期でもあり、全国から600名もの参加者があった。アウトドアズを冠するマーケットシンポジウムやフォーラムでは、私が知る限り最大級で、この規模を超えたものはないように思う。鬼塚さんにスポーツ業界を代表して、基調講演をお願いした。
 会場で、著名な登山家で同社の社員でもある重廣恒夫さんに、鬼塚会長を紹介してもらった。名刺をお渡しし、簡単な挨拶をさせていただいたその直後、重廣さんが「私と一緒にカラコルムに行きました」と言い添えると、鬼塚さんの表情が一瞬にして満面の笑顔に変わり「そうか、キミは山屋か!」と握手を求められた。いまもこの光景は鮮明に覚えている。

 鬼塚さんは基調講演で、青少年の野外教育の重要性を熱く語られた。そして、余暇と自由時間を増やすことで、アウトドアに人が向かう。そのためにもサマータイム制の導入が必要だと述べられた。その時、サマータイムについては、正直なところさほどピンとは来なかった。
 数年後、米国のアパラチアントレイルのテントサイトで、カナダに続く空と森がいつまでも明るいので時計を見ると、すでに夜の8時をまわっていた。同行の登山学校の教官に、北極に近いからいつまでも明るいのか、間抜けなことをたずねると「サマータイムさ!」とにこやかにこたえてくれた。この時、鬼塚さんの語られていた意味が、ようやく分かったような気がした。
 その後も海外のアウトドアフィールドでは、サマータイム制で行動時間が長くなったことを、何度となく体感している。ニュージーランドではサマータイムのおかげで、仕事を終えてからカヌーやフィッシングを楽しむことができる、と知人のガイドが誇らしげに語っていた。
 いま、日本でもようやくサマータイム制導入の論議が活発になってきた。

 その何年か後、私が総合プロデューサーをしている、東京アウトドアズフェスティバルで、数年間、主催者の会長をお引受けいただいたことがあった。ある年のこと、パーティでフェスティバルの記念シンポジウムに招聘した、米国のアウトドア専門誌の女性編集長が、鬼塚さんの野外活動の重要性について触れられた挨拶を聞いて「なんてすばらしい人でしょう!」と、随分感激していたのを覚えている。パーティでのお話しとお人柄に、彼女は大変感動したと語っていた。その時、鬼塚さんは80歳を超えられていたと思う。
 「鬼塚さんにプレゼントをしたいが、いいか?」と彼女が私に尋ねた。「もちろん」と言うと、小さな包みを鬼塚さんに手渡した。鬼塚さんはたいそう喜ばれて「お返しをしなければ」と言い残し、おひとりでショッピングモールに出かけて行かれた。

 お別れの会は、著名なアスリートなど1600人もの参列者があったと報道されていた。その会場の隣が、鬼塚さんに初めてお目にかかった、神戸のアーバンアウトドアシンポジウムの開催場所だった。

(次回へつづく)


■バックナンバー

■筆者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアコンセプター・ジャーナリスト。
NPO法人自然体験活動推進協議会理事、国際アウトドア専門学校顧問、NPO法人比良比叡自然学校常務理事、日本アウトドアジャーナリスト協会代表理事、東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサーなど。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。日本山岳会会員。