- 第152回 -  著者 中村 達


『野外教育と山屋の感覚の違い』

 この夏休み、ある自然体験の行事に参加してきた。盛りだくさんのプログラムの中で渓流歩きというのがあったので、そのグループの後について行くことにした。
 渓流歩きというので、どんな人たちが参加するのか興味があった。集合場所で待っていると、ほとんどがファミリー参加で、中には2~3歳の小さな子ども達もいた。参加者の格好をみると、大半がTシャツにスニーカーといういでたち。この格好で集合地点から、足場の悪い渓谷沿いの道を30分ほど下り、滝を見て戻ってくるのだそうだ。

 参加者はおよそ20名。それに引率する野外活動の指導者やリーダーたちが数名だった。歩き始めてすぐに親子が足を滑らして転んだ。細かい浮石に足をとられたようだ。かすり傷を負って、バンドエイドのお世話になった。
 10分ほど歩くと渓谷沿いの山道になった。足元はあまりよくない。小さな子どもたちは、危なっかしくて見ていられない。ついつい、3歳ぐらいの女の子の手をとってしまった。母親が「すみません、ありがとうございます」と言った。道は完全な登山道になった。途中で幅50cm、長さ10mほどの橋を渡った。けつまずけば、間違いなく数メートル下の谷に落ちて大怪我をする。参加者がこの狭い橋を渡りきるのを見ていて、冷や汗をかいた。

 渓谷沿いの道は、さらに狭くなった。小さな子どもには無理ではないか。そう思って私の前を歩いているリーダーに声をかけた。すると、「こういうところでバランス感覚を覚えるのです」と、返ってきた。思わず「年齢によるでしょう!」と声に力が入った。
 確かに野外教育の立場では、危険な箇所を一人で歩いて、バランス感覚や危険を覚えさせるという指導法があるのかもしれない。しかし、我々山屋の感覚からすれば、危険は極力回避しなければならないし、バランス感覚などはもっと安全なところで養う方法はいくらでもあると考える。怪我をさせては元も子もない。なにしろ、この谷は若い頃、沢登りのトレーニングのフィールドとして利用していた。そのリーダーは大学で野外教育を選考して、いまは研究者だとあとで知った。
 野外教育者と山屋の感覚の違いを、あらためて考えさせられたひとコマだった。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。