- 第143回 -  著者 中村 達


『立山の春スキー』

 G.W.の後半、立山の春スキーに出かけてきた。明け方に家を出ると、登山口の立山駅には9時ごろには着いた。早いので空いているだろうと高を括っていたら、何のことはない駅はものすごい観光客で溢れかえっていた。駐車場も満杯だったが、運よく1台だけ停めることができた。ケーブルの切符を買おうとすると、係員から、直行バスのほうが早いですからと進められ、バスであがることになった。それでも1時間は待たなければならなかった。

 バス待ちの間、周囲を観察していると、多くの観光客の荷物があまりにも少ないのに気がついた。どうやら、山では泊まらず長野県の大町へ抜けるか、富山側に戻ってくるのだそうだ。確かに山は一面の雪原で、観光客にとっては「雪の大谷」の高さ17mの壁を見れば十分なのだろうか。それにしても、あまりに軽装だった。リュックサックを担いで、スキーを持っているのは本当に少ない。一昔前なら、いわゆる山屋やスキーヤーでごった返していたが、いまは、数えるほどしかいない。大半が観光客、それもツアー客が多いようだ。最近では、特に韓国、台湾、中国などからの旅行者が相当増えていると聞いた。

 標高2500mの室堂バスターミナルは、ラッシュアワー並みに混み合っていた。レストランや食堂の前には、長蛇の列が出来て、何がなんだかさっぱり分からない。ともかくこの喧騒から早く逃れたくて、昼食を摂るとすぐに出発した。
 板にシールをつけて登っていくと、雄山から下山してきた何組かの登山者とすれ違った。パーカーの上下を着て、靴にはアイゼンをつけ、ピッケルを持った中高年の登山者ばかりだった。腐った雪にアイゼン?不思議な光景を見てしまった。
 一の越で出合った山スキーヤーは、すべて中高年だった。いまや山スキーの世界も中高年の独壇場と化したのか・・・?!少しは若者たちもいるかと思っていたのだが、少なくとも私たちが出会ったのは中高年ばかりだった。

 一の越からは室堂山を巻くようにして一気に滑り降りたが、そこはだれもいない私たちだけの世界だった。こんなすばらしいフィールドを、こんなにも楽しい山スキーを、若い人たちにどのように伝えていけばいいか。そんなことを山小屋で酒を飲みながら語る私たち山屋のオヤジは、やっぱり若者に嫌がられるのだろう、きっと!

(次回へつづく)


■バックナンバー

■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。