- 第126回 -  著者 中村 達


『愛宕山』

 先週は比叡山だったので、今回は愛宕山924mに登ることにした。愛宕山は火伏しの神様として有名で、京都の市民には大変親しまれてきた。市民は必ずといっていいほど、この山に登っているのではないかと思う。台所には「火廼要慎」のお札が貼られていることが多く、生活の中に愛宕山信仰は深く溶け込んでいる。自宅の台所にもこのお札が貼ってある。
 JR東海道線の桂川鉄橋あたりから、北に向かって左側にどっしりとしたその山容が見える。愛宕山に対峙するように右側、つまり東には比叡山がある。戦前はケーブルカーで山頂近くまで登ることができ、スキー場もあった。いまも軌道の跡が、なんとなく残っている。私の高校は桂だったので、所属していた山岳部のトレーニングといえば、この山がフィールドだった。ボッカの訓練や、冬山の練習の場にもなった。


 愛宕山の登山道(参道)はよく整備されているし、歩きやすい。特に表参道は広い階段状の登山道で、迷ったりすることもない。とは言っても、高低差は800mほどあり、どのルートを通っても急峻できつい。決して侮れない登山となる。普通に歩けば、2時間30分ほどで山頂に着くが、運動不足だとバテテしまうことになる。

 確か私が小学5年生の夏だった。弟や近所の幼馴染と愛宕山に登った。山登りははじめての経験だった。なぜ登りに行くことになったのかは記憶にない。登山口の清滝から月輪寺道を登ったことだけは、おぼろげながらに覚えている。登りはきつく、全員が這這の体で山頂に辿りついた。バテバテだった。山頂からは途中で知り合った20歳代のカップルとなぜか一緒に下山し、清滝の茶店でカキ氷をご馳走になった。いまもその情景だけは、はっきり脳裏にある。
 帰宅して、この登山でひどくバテた弟が入院するという事態になり、お袋にきつく叱られた。その後、弟は大学で地質学を専攻し、いまは南米や中央アジアなどの高山地帯で地質探査の仕事をしている。このときの経験がそうさせたのかどうかは定かではないが、人間、何がどうなるかは分からない。

 この日、愛宕山は大変静かだった。独り月輪寺道を、落ち葉を踏みしめて晩秋の山歩きを堪能することが出来た。それでも山頂の愛宕神社では、たくさんの登山客がお参りに来ていた。京都市民に親しまれているだけあって、子どもたちや若者の姿も見かけた。下山途中、階段状の参道を軽やかに駆けあがる子どもたちの後を、父親が息を切らして追いかける姿が印象的だった。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。