- 第112回 -  著者 中村 達


『好日山荘』

 京都の河原町にアウトドアショップの「好日山荘」がリニューアルオープンした。
 先日、その内覧会のご招待があって出かけてきた。
 随分前のことだが、現在の所より少し南に下がった場所に、この好日山荘があった。当時は京都山荘と名乗っていた。河原町と木屋町の間にある、25坪ほどの小さな店だった。両隣がバーで、向かいがクラブか何かだったように記憶している。レンガ造りの店だったので、よく飲み屋と間違って酔っ払いが入ってきた。もう35年以上のお話ではあるが、この店で学生時代、毎年冬になるとアルバイトとして働いた。

 歳末ともなると、この小さな店は大勢のお客で賑わった。時代は高度成長期で、登山もスキーも大変なブームで、戦後の絶頂期だった。だから登山用具やスキー用品は、飛ぶように売れた。当時最新の裏出し皮の登山靴は、入荷するとすぐに完売した。初めて輸入されたフランス製のリュックサックは、お客同士の取り合いとなった。スキー用具はもっとすさまじく売れた。深夜、スタッフ全員が徹夜でビンディングの取り付け作業に精を出した。

 そして、お客の多くが20歳代の若者達だった。京都にあるほとんどの大学の山岳部、ワンゲル、探検部員たちがきた。狭い店が彼らの溜まり場になることもしばしばだった。休日には中学や高校のワンゲル、山岳部員が大勢でやってきて、共同装備をごっそり買い込んでいった。おそらく似たような光景が、全国の山やスキーの専門店でみられたのだろう。若者たちがこぞってアウトドアに出かけるような時代は、社会も元気なのだ。
 この京都山荘で、大勢の山屋やスキーフリークに出会い、登攀ルートや用具の使い具合など、様々な情報を交換したものだった。彼らの多くとは、いまも親交が続いている。
 稼いだアルバイト代の大半は、次々と入荷する目新しい登山用具の購入に費やしてしまいがちだった。わずかに残った賃金をもって、真新しいリュックサックと登山靴を履いて、信州行きの夜行列車に飛び乗った。
 そんな、情景を思い浮かべた、好日山荘のオープンだった。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。