- 第95回 -  著者 中村 達


『登山納めで思ったこと~37年ぶりの京都北山、魚谷山で~』

 12月の末、京都北山の魚谷山に登ってきた。京都市内から車で30分、雲が畑という集落に着いた。そこから林道を5分ほど上がったところで車を止めた。
 この山に登るのは、実に37年ぶりである。高校を卒業した記念にと、クラスの男性ばかり20人ほどで、登山道の途中にある無人の山小屋で数日間滞在した。その間、残雪の魚谷山をみんなで登った。そんな大人数でよくぞ出かけたものだと思う。昔のことなのに、その山小屋での生活は、印象深く記憶に残っている。まさに、巻き割り、飯炊き、小屋掃除の世界だった。

 メンバーは寝袋や食料が入ったキスリングを担いで、キャラバンシューズもほぼ全員が履いていたように思う。山岳部に所属していたのは私だけで、他の同級生はラグビーやサッカー、水泳、野球部などだったが、なぜか、みんな山が好きだった。
 雲が畑でバスを降りてしばらく林道を歩き、途中からは渓谷にかかった長い木馬道(きうまみち)のルートが登山道だった。北山といえば木馬道が有名で、これは北山杉を切り出して、下に下ろすための運搬用索道といったものだろうか。鉄道のレールのような形状で、枕木の部分を利用して、材木を滑らせながら運ぶのに使われた。丸太が運びやすくするために、油が塗ってあるので、バランスを崩して落っこちないよう、常に息が抜けないスリリングな道だった。

廃屋となった山小屋と林道

 しかし、いまでは林道が縦横に張り巡らされ、木馬道や登山道は跡形もなく消え去っていた。私たちが2泊3日の山の生活を楽しんだ山小屋も、荒れはてていた。
 林道となった登山道を1時間ほど歩くと、ようやく山道となった。この山道を辿って、ひと汗かくと魚谷山の山頂に着いた。37年前の山頂に生えている木は、たしかもっと低かったような気がする。友人が赤松の木に登って、手を振っていた光景がよみがえった。

 魚谷山の山頂で、この日初めて登山者にあった。無線が山頂から飛ぶかを調べることを趣味にしているIさん。奈良県から魚谷山に無線を飛ばしに来たのだそうだ。お話を伺うと1年に100山程度は軽く登って、無線が飛ぶかどうかを調べるのだそうだ。『林道があったので、簡単に登れて助かりました』と言われてしまった。少し複雑な心境になった。それはそれでいいのかも。

林道と魚谷峠

 魚谷山山頂から10分も歩くと、再び立派な林道に出た。ここが魚谷峠という分水嶺だが、いまはその面影は全くなかった。幅広い林道の交差点と化していた。魚谷峠からは北山杉の生茂る、薄暗い松尾谷を下ったのだが、それも林道に変貌していた。仕方なく林道をだらだらと下ると、山仕事の作業員に出会った。いろいろ尋ねてみると『高齢化が進んで、材木を下ろすのも大変で、林道を作らないと運び出せなくなりました。昔は味わいのあったいい谷だったんですけれど・・・』と、寂しげに言葉を結んだ。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。