- 第60回 -  著者 中村 達


「なぜ、スキーは人気がないのか?」

 先日、スキーのチューンナップをしてもらいに、スキーショップに出かけてきた。
 世間話の中で、スキー業界の厳しさをあらためて知った。今年は本当に売れていないようだ。昨年は、かつてなく悪かったが、今年はそれ以上に悪いと、店主は顔を曇らせた。

 スキーが厳しい理由は、いろいろある。そして、その全てが正しい。不況、遊びの多様化、携帯電話にお金がかかりすぎて余裕がない・・・など、巷間言われているとおり、すべてあてはまる。この国には、600余のスキー場がある。その多くが、厳しい経営環境にさらされている、といっていい。存亡の危機に瀕しているスキー場も、相当数にのぼると推定されている。

 ほんの5~6年前のことだった。12月になって、ようやくスケジュールの都合がついたので、家族で急遽、正月にスキーに行こうとなった。コネを使いまくって、ようやく栂池のペンションの予約が出来た。送られてきたリーフレットをみると、それなりにリゾート?風だった。
 しかし、ひとりあたり1万数千円にしては、部屋の仕切りは薄いベニヤ板で、隣室の話し声がまる聞こえだった。朝食は冷たい牛乳と、ロールパン、卵焼きと千切りのキャベツだけだった。夕食は、スープとハンバーグに野菜少々。いわゆるペンションのイメージとは大きく違う。あまりにもひどいので、責任者に苦情を言うと、どうやら雇われ支配人らしく、ただただ予算が決められていて、申し訳ないと頭を下げるばかりだった。仕方なく、夕食は毎回外へ食べに出かけた。

 これは極端な例かもしれないが、バブル期まではスキーは売り手市場だった。「高い、寒い、混雑」であっても、私達は出かけた。それは、スキーは楽しいし、常に上達という目標があった。独身時代は、登山とスキーに給料の大半をつぎ込んだものだった。

 聞いた話だが、バブル時代は、1泊8000円のペンションが、正月であればアベックに3万円とふっかけても、喜んで泊まってくれたそうだ。もちろん、全部が全部そうではないだろうが、これでは、疑心暗鬼になる。そんな反動がこの現象をよんでいる要因のひとつかもしれない。

 一時はスキー業界も、スノーボードのブレイクで息を吹き返したが、すぐに収束してしまった。かつては、修学旅行といえばスキーが中心だった時期もあったが、いまや、テーマパークと、自然体験学習を組み合わせたものがトレンドだ。
 スキー修学旅行の衰退は、スキーの指導体制にも問題があった。大勢の修学旅行生に対応するため、急ごしらえのスキー教師もかなりいたと聞いている。スキーの技術向上が指導の中心で、雪山の楽しさや、自然の解説あるいは、スキーの面白さなどを教えるという視点が、少々欠落していたように思う。
 その結果だろうか、スキー修学旅行に参加した子供たちが、スキーが嫌いになることが、少なくなかった。修学旅行でスキーが楽しくなったという話は、少なくとも私は聞いたことがない。

 結局スキー修学旅行は衰退の一途を辿っていて、それが、一層、若者のスキー離れを加速しているように思えてならない。一方で、少数だが自然学校などが運営するジュニアのスキー教室は、繁盛しているところもある。今年の冬休み、老舗のある自然学校は、募集定員の2倍も生徒が集まったそうだ。

 子ども達や若者のスキー人口は、減少しているが、それでもしっかりしたニーズはある、ということだろうか?それに、50歳代以上のいわゆるシニア世代のスキーが、静かなブームだ。戦後第1次、第2次のスキーブームをつくった世代が、スキーに帰ってきた。シニア向けのスキーツアーは、盛況だそうだ。登山と同じ現象が起こっているのだ。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。