- 第13回 -  著者 中村 達


「冒険プログラム」
 トム・ソーヤ企画コンテスト優秀賞受賞団体のプログラム実施の様子を、読者にお伝えするため、あちこちの団体にお邪魔している。
 長野県の白馬村周辺でも2つの企画が実施された。一つは冒険家で中央大学助教授の九里徳泰氏が主宰する、『環境冒険国際キャンプ』。もう一つはアウトワード・バウンド協会が主宰する「冒険教育を推進する会」の『ジュニア アドベンチャー2002サマーキャンプ』である。

アウト・ワードバウンド・スクールの梶谷さん、佐藤さん(左から)

 2つの事業とも「冒険」が主要なテーマであり、他の応募企画とは趣が少し異なっていた。「冒険」の定義は論議のあるところだが、両団体に共通している点は、参加した子どもたちが、自らの手でプログラムを企画することだ。それに、移動距離が長い。環境冒険国際キャンプは環境教育をとり入れながら、50kmの距離を歩き通した。途中、日本百名山の一つである雨飾山を越えた。通常、この山に登るには、標高約1000mの登山口まで車を利用するのだが、このプログラムでは最寄りの駅からすべて歩いた。下山後は、炎天下の道路を一路日本海を目指して歩きつづけた。これは熟練した大人でも結構つらい旅だったろう。

 一方、『ジュニア アドベンチャー2002サマーキャンプ』は、13泊14日と長期のキャンプ。前半は登山や沢登り、あるいはMTBなどのトレーニングを、主に山岳部で費し、そのあと参加した子どもたちの手による自主企画を実行に移すというのがポイントだ。
 小学生の部、中学生の部に分かれた2班の共通点は、海を目指すというものだった。前者は50kmを徒歩で、後者は能登半島の突端までの300kmをMTBで走った。それも国道を通らずに、のべ標高差3000mもの峠を何度となく越え、あくまで林道やトレールをルートに選び走りぬいた。

地図を見ながら計画を立てる

 実施の詳細は、いずれ報告書としてこのサイトで公開の予定だが、日本アウトワード・バウンド協会の現場責任者、梶谷耕一さんは「子ども達に機会を与えると、どこまで行くのかと思うほどの可能性をみせてくれ、それは大人が考える範囲を超えている」と語った。
 廃校を借り受けた同協会長野スクールの装備庫には、数多くの冒険のための道具・用具が保管されていた。使い古されたMTBのタイヤは、完全に擦り切れていた。梶谷さんは「私達は消耗しきるまで、徹底的に使います」と胸を張った。安全を最優先にしながら、冒険教育に情熱を持ちつづけるというのは、本当に大変なことだと思うが、時代が彼らの活躍を要請していると思う。

 大人達にとって、冒険という言葉はいまやなんだか劇場化していて、TVでみる映像でしか、理解できないところにきているような気がする。また、地図の空白部がほとんどなくなったいま、地理的発見という冒険も消失した。
 そんな中で、子ども達にとっての冒険は、いまなお健在であると思う。自然のなかで協力し合い、地図を調べ、汗を流し、へとへとになりながらも、彼らにとって未知な地域を、目標を目指して、何日もかけて到達すること。一見なんでもない、当たり前のストラテジーに思えるが、現代の大人達がどれだけチャレンジできるだろうか?

徹底的に使いこまれたMTB

 白馬八方尾根を歩いた。リフトの終点は観光客でごった返していた。標高2000m近い第1ケルンには、タンクトップ姿の若い女性や、サンダル履きのカップルなどで溢れていた。特別に高山植物に関心を持つわけでもなく、山の名前を覚えるといった風でもない。
 冒険プログラムで出会った子ども達や、観光客と同年齢であろうスタッフ達とのあまりにも大きな落差に、戸惑いを隠せなかった。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。