- 第9回 -  著者 中村 達


「山蛭にやられた!」
 釣り仲間から鈴鹿山系の源流に誘われた。「中村さん、天然の尺モノばっかりですよ!」などと言われれば、誇張だと分かっていてもついつい乗ってしまう。
 ただ、この時期、正直なところ鈴鹿はあまり気がすすまない。それは、山蛭がいるからだ。とくに梅雨の頃、気温が25℃以上あって湿度が高いと、木の上から落ちてきて衣服の中にもぐりこみ、血をたっぷり吸うそうだ。私はまだやられたことはないが、何年か前に子どもが滝の下で足に吸いつかれた。しばらく血が止まらなかった記憶がある。「どん臭い奴やなぁ」と笑ったものだった。
 山蛭は嫌だが、「尺モノがいる」と誘われれば、自分の腕前は忘れてともかく同行することにした。登山だけだったら、絶対に行かない。

 この日は梅雨の中休みで、曇り空ながら雨は大丈夫そうだった。ウェーディングシューズに履き替え、スパッツをつけその上から「蛭防止スプレー」なるものをたっぷりふりかけた。このスプレーは、農協で売られている。蛭が入る隙がないように、出来るだけ袖口や襟元を締めた。「釣りはしたい」、「蛭は怖い」が交錯するが、ポイントまでの二時間余りの登り下りで、全身から汗が噴出し、源流に着く頃には「もう、どうでもええ」状態となってしまっていた。
 さすがに7月ともなると、源流部のブナやミズナラの原生林は、鮮やかな緑で包まれている。梅雨前線が北上しているので、時折異様に生暖かい熱風が、標高千メートルの谷をゆっくり吹き抜けた。
 平日だったので私たちのほか、誰もいない。狭い谷の水面には、カゲロウなどのメイフライが飛び交っていた。

 少しアルバイトをしたので、早めの昼食にした。毎週のように山に出かけているが、コンビニがどこにでもあるので、本当に助かる。私のパターンは、鮭、梅、かつお、シーチキンのおにぎりに、シーフードヌードルといつも決まっている。毎回同じでも飽きることがないのが不思議だ。夏でも温かい麺が、身体の元気を取り戻してくれるのがありがたい。今日は一番若い大沢クンが、お湯を沸かしてくれた。
 昼食の後、二手に分かれて沢をつめて行った。ベテランの木戸クンは、さすがにキャスティングがうまい。テンカラ釣りのような独特のフォームは、自然の中にすっかり溶け込んでいた。沢と一体となった彼は自然そのもので、天然のアマゴをどんどん釣りあげた。私もヒットしはじめたが、尺モノはあがらない。
 この日は結局4人で30匹は釣れたのだろうか。もっとも木戸クンがダントツだった。もちろん、すべてリリースした。

 釣りに没頭していて、気がつくと時計は6時になっていた。「こりゃいかん」と、源頭部を駆け上がり、稜線を越えて、走るように下って駐車場に着くと、すでに7時を回っていた。
 駐車場で「山蛭にはあわなかった?」と確認すると、木戸クンが「腕をやられました」大沢クンは、「落ちてきましたが、振り払いました」眞クンは、「大丈夫でした」。私もやられなかったので、確立25%だなあと冗談を言いながら、汗で汚れた衣服を着替え、靴も履き替えて帰路に着いた。
 運転している途中、足の甲のあたりがチックリとしたが、ゴミでも入ったんだろうと、気にも留めなかった。帰宅して車から釣りの道具などを下ろし、汚れた衣類を持って玄関でうろうろしていると、床に点々と血が落ちている。あっれ!と思って足元を見ると、甲から血がひたひたと流れ出ていた。脱いだ靴の中には、たっぷり血を吸って、丸く太った親指大の山蛭が横たえていた。蛭にやられた傷口からは、その日の夜半まで血が流れ出していた。

(次回へつづく)


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■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。