- 第5回 -  著者 中村 達


「大人は子どもに学べ」
 私の住んでいる滋賀県は自然が豊かで、少し足をのばすと琵琶湖や野洲川などの河川、それに森や山々などに恵まれています。遠くに行かずとも、標高さえ欲張らなければ、すばらしい自然がまだまだたくさん残っています。司馬遼太郎さんが滋賀県が一番好き、と言われたのもうなずけます。

 G.Wのある日、近くの低山にハイキングに出かけてきました。「雪野山」という、標高300m余りの山です。最近、前方後円墳が発掘されたので、考古学ファンとっては大変有名な山だそうですが、私は今回がはじめてでした。
 山麓には大きな森林公園があり、バンガローやピクニック用の広場などの施設が完備され、さすがにG.W中はたくさんの家族連れでにぎわっていました。しかし、「雪野山」は静かでした。
 急な登山道を登っていくと、小学生のグループに追いつきました。「どこからきたの?」「キャンプ場から」「家はどこ?」「大阪」・・・。どうやら何組かの家族でキャンプに来たようです。そのうち希望者だけがこの山に登ってきたということでした。子ども達の格好はといえば、半ズボンに、サンダル履きもありで、もちろん手ぶら。いくら低山とはいえ、坂は急だし登りに小1時間はかかります。ちょっと危ないなあ・・・。

 子ども達は汗をたっぷりかいて、息も切らせて一生懸命登っていました。少し心配になったので、「水、持ってるの?」と聞くと「持ってへん!そやけど後でくるおっちゃんが、お茶もってる。」とこたえました。それで、「そやけど、のど渇いたやろ。水、あげよか?」と言うと、年長の女の子が、「そんなん悪いわ。おっちゃんのなくなるやん。」と遠慮がちにこたえました。山頂まではあと少なので「わかった。そしたら山頂で水をあげるから、そこまで頑張れ!予備の水持っているから心配せんでもええよ。」と言って、再び登り始めました。

 山頂は標高がわずか309mとは思えないすばらしい展望でした。近江平野の向こうには比良連峰を背後に、琵琶湖が光って見えました。
 少し遅れて子ども達が登ってきました。「山頂についた!」と歓声があがりました。
 「ぼくは、山登りははじめてや。しんどいけど楽しい。」と、私の顔をみて男の子が言いました。約束どおりペットボトルの水を差し出しました。子どもたちは、「ありがとう」と言って飲み始めました。例の女の子が「みんなで分けなあかんで。たくさん飲んだらあかん!」とみんなに言いました。7~8人の子ども達が、小さなペットボトルの水を少しずつ分けて飲みました。
 そこへ、携帯電話を片手に引率者らしい男性が小さな子どもの手を引いて、息を切らせて登ってきました。「あー、えら!」と言って、リュックサックからわずかに残っていたペットボトル入りのお茶を飲みだしました。とても子ども達全員が飲める量ではないと思いました。
 そこへ、「この水もらったんやけど」と、例の女の子がペットボトルをさしだしました。「そうか」と言って、その男性はわずかに残った水も飲んでしまいました。
 10分ほどして子ども達は「さようなら」と言って、山頂をあとに下山をはじめました。
 ごみ箱には空のペットボトルが捨てられていました。

 下山は馬の背という稜線につけられた快適なコースをとりました。ミズナラやマンサクなどが生い茂る、すばらしい道でした。
 登山口につくと、先ほどの子ども達に再び出会いました。しかし、表情はなんだか不安そうでした。「どうしたの?」と聞くと、「まだ、降りてきてない子がいる。」と答えました。
 おそらく先に下りて、違う道にども入ったのでしょう。そのとき50mほど先に2人の子どもの姿が見えました。近づいていくと、泣きべそをかいていました。「心配せんでええ。大丈夫や。」と声をかけました。
 こういう場合は、引率者は何をしてたのか、と言うことになるのですが、経験不足ながらも子ども達を自然の中に連れ出そうという気持ちは大事なことだと、何も言わず帰路につきました。
 自然体験には指導者や引率者の指導が、何よりも大切だといまさらながら感じたG.Wの一日でした。

(次回へ続く)


■バックナンバー

■著者紹介

中村 達(なかむら とおる)
1949年京都生まれ。アウトドアプロデューサー・コンセプター。
通産省アウトドアライフデザイン研究会主査、同省アウトドアフェスタ実施検討委員などを歴任。東京アウトドアズフェスティバル総合プロデューサー。
生活に密着したネーチャーライフを提案している。著書に「アウトドアズマーケティングの歩き方」「アウトドアビジネスへの提言」「アウトドアズがライフスタイルになる日」など。『歩く』3部作(東映ビデオ)総監修。カラコルムラットクI、II峰登山隊に参加。