杉原 五雄


『地域おこしのための教育プログラム』
 驚いた集落があるものだ。先日訪れた徳島県の美波町というあまり聞き慣れない自治体の片隅に位置する『伊座利』という地区である。
 『伊座利』という名前を聞いたのは一昨年、日清食品の会長であった故・安藤百福氏が創設された安藤財団が、素晴らしい自然体験活動をしている団体に賞を与える『トム・ソーヤースクール企画コンテスト』の受賞式でのことである。
 その企画の第一回受賞者が、当時中幡小学校でやっていた『飯田自然体験学習』の主催者である私であった関係から、シンポジウムのパネラーの一人に選ばれていたので、『伊座利校』の活動のプレゼンテーションを聴く機会があったわけである。
 よくできたプレゼンであったが、わずか15分ほどの映像だったので、具体的に内容を審査したわけではない私には『凄いことをやっている団体だなぁー。地域ぐるみでこんなことをやっているところもまだ残っているのだ。』という感想は持ったものの、まさか訪問する機会があるなどとは想像もつかなかった。
 今年から始まった農水省の肝入りで作ることになった『地域おこしのための教育プログラム』の作成検討委員に、私も委員の末席に名前を入れていただき議論しているのであるが、先進的に活動をしている地区を視察して参考にしようという声が上がり、今回栃木県の茂木町と徳島県の美波町伊座利地区を訪れる機会を得た。

『伊座利』を訪れ『ぶったまげた』
 茂木町の堆肥づくりのシステムは実に素晴らしいもので、近々紹介したいと思うが、今回はまず『伊座利』を訪れ、まさに『ぶったまげた』という表現しか思いつかないほど驚いた集落の人々の熱い思いを見聞きしたことをお知らせしたい。
 草野さんという方がおられる。この方は美波町の役場に勤めるかたわら、『伊座利の未来を考えるすいしン協議会』という組織を立ち上げて中心となって活動されている。
 徳島空港から車で伊座利に向かう途中、草野さんから紹介された国道55号線沿いにある『弘伸丸』という食堂で昼食。行程表には『伊座利料理食堂』とあるので、伊座利料理という特別なメニューがあるのではと思ったが『伊座利料理』というのは『魚のオンパレード』らしい。
 昼食時間帯を少し過ぎたころだったのだが、店内にはかなりの客で込み入っていたが、我々は幸運にも奥の畳の席だけ空いていたのでそこに陣取ることができた。板場には威勢のよい親父が見事な包丁さばきでイキの良い魚を次々に料理、盛りつけている。
 日替わりのランチが500円、刺身や煮つけやなどは700円という破格の値段。私は刺身定食を注文したが、間もなくお盆ででてきた料理に『えっ、これで700円』って思わず言ってしまうほどの量と新鮮さである。
 親父に言わせると『これでも今日は種類が少ない』とのこと、なんでも伊座利の漁港から今日朝上がった魚だけを使っているので、その日によって魚の種類が変わるとのことで毎日同じとは行かないとのことである。なるほど納得・・・。
 大満足で『これから伊座利に行くのだがどれぐらいかかるか』と聴くと、あらかじめ草野さんから話が通っていたらしく、親父の『私も、後で行く』との言葉で、この方も伊座利の住民の一人だということがわかる。
 しかしその時は、まさかこの親父が『伊座利の未来を考える会』の会長さんだったとは想像もできなかった。

 『伊座利』は漁港だと聞いていたのだが、伊座利への道は『本当に海などあるの』というほど山また山の中のクネクネ道。やっと峠だと思われる地点に道路の両脇に『海の学校』と『伊座利校』という看板が立っていた。
 手作りの看板だが、矢印もついていないところをみるとこれは校門、ここから学校がはじまるという意図があるのかも知れない。誰が考えたのかわからないが、もしその通りならば、これは実に壮大な発想ではないだろうか。
 漁協の2階がこの集落の人たちの集まるところらしく、訪れた時もかなり大勢の人たちが打ち合わせの最中だった。この部屋に入った瞬間目が点になった。そこには数多くの女性用のパンティがぶら下がっているではないか。よくみると一つ一つにユニークな絵が描かれているので洗濯物ではないことがわかるが、万国旗よろしく飾られているオブジェの出迎えには驚いてしまった。
 町おこしの一環でバンダナを飾るイベントをした際、多くの応募者があったそうで、それを集落のメイン通りに飾った時に、継いでのアイディアでこの企画が生まれたという。県外の女子大生などがたくさん応募したというから面白いではないだろうか。
 パンティ万国旗の下で、草野さんと同じく『伊座利の未来を考える会の実行委員長』の富田さんのプレゼンを聴く。

『伊座利方式の漁村留学』
 この集落の唯一の収入源は漁業、今でこそ峠越えの道ができているが、かっては人々が通れるだけの細い街道が一本あるきり、どこに行くのにも船で行くしか方法がないほどの、まさに『陸の孤島』と呼ばれた地域だったという。
 昭和30年代までは、何をするにしても集落の人たちが総出、水の弁も悪く風呂も集落でたった一つ、川から水をバケツで汲んで運び、燃料は山に薪を撮りに行くのが集落の女性たちの毎日の仕事だったという。
 そのために、共同作業が当然で厭わないという意識が今でも強固に残っているのが、今日の伊座利で、ここには子どもたちが大人に対して愛称で呼ぶのが当たり前、草野さんの話からも『クロ兄ちゃん』とか『清おっちゃん』という愛称が飛び出す。
 大人たちは子どもをすべて呼び捨て、すべて自分の子どもという意識が浸透しているので分け隔てなく接する気風で満ちているという。
 こんな集落にも時代の流れ出、若い者が外に出るようになって小さいながら続いている小学校と分校である中学校も廃校の危機になった時に、行政に陳情しかだ何もしてくれないので、地域全体がまとまり立ち上がったという。
 『学校の灯を消すな』を合言葉にして、何とか子どもを増やす方法を考え、そこで生まれたのが『伊座利方式の漁村留学』である。多くの地域で山村留学を取り入れているが、そのほとんどは子どもだけ預かる里親システムである。しかしここは『親と一緒』でないと受け入れないという方法をはじめから打ち出し現在も固く守っているという。
 現在小学生の数は16名、中学生は6名であるが、集落で生まれ育った子どもは一人だけという。その他はすべて親と一緒に移住してきた子どもたちだというからちょっと信じられない。住宅の関係などで受け入れができずに待機している一家も20を超えるというから、ある意味現代の奇跡といってもよいのかも知れない。
 こんな超僻地でありながら、100人以下にまで落ち込んでいた人口が、現在は130人と増えている。定住を希望する人も多くなり、当然高齢化率が低下している。高齢化率が27%というから、ほとんどが若者の町と表現してもよいのかも知れない。
 このあたりがパンティイベントなどの柔らかい発想法を生む秘訣なのかも知れない。

『おいでよ海の学校へ』
 プレゼンに聞き入っている途中で、昼食の店の親父が入ってきた。草野さんから『この人が我々の会長です』と紹介されてびっくり。この方が子どもたちから『クロ兄ちゃん』と呼ばれている人らしい。本名は『坂口進さん』とのことだが、毎日の定置網漁業で真っ黒に日焼けした顔に、さらにびっしりと髭を蓄えている風貌からこの愛称が定着したものと思われる。
 『クロ兄ちゃん』を中心に様々な企画をしているのだが、中でも注目されているのが年2回行われる『おいでよ海の学校へ』というイベントである。クルージング・カヌー体験・定置網漁業体験・名物アワビカレーなどが人気になり、参加者は年々増えて昨年は300人を超えたという。
 『伊座利の未来を考える会』の会員は、生まれたての赤ちゃんからお年寄りまで地域に住む全員が参加しているというのも凄い発想。しかも県外の応援団も毎年増えて600人を超えるという。
 当然小中学校の児童生徒はもちろん教職員もすべて会員なので、体験プログラムは地域の人たち全員が共有するということになる。小学生たちは『ひじき狩り遠足』と称した学習も毎年行い、とってきたひじきを乾燥して製品にして徳島の朝市にて販売まで行うという。中学生たちもその販売日に合わて『大敷』という大型の定置網漁業も体験し、とれた魚を朝市に並べる。
 子どもたちは教わったひじきの作り方なども絵にして、お客に発表するものだから、あっと言う間にすべて完売になるという。そうして得たお金はすべて、山の学校との交流・スキーの体験や日頃の学習活動などに供されるという。
 プレゼンの途中には、ネクタイをつけたおっさんやうさん臭そうなおじさん・おばさんが入ってきて、我々が聞き入っている様子を見ている。草野さんも特にその人たちを我々に紹介するわけではないところをみると、ごく日常的な風景なのかも知れない。
 プレゼンテーションが一通り終わり、いろいろと話が盛り上がる頃には外はもう夕闇が迫っている。隣の調理場では、何やら忙しそうに若い人たちがはじめている。何も聞いていないが、夕方一緒に食事でもしながらの懇談の準備らしい。
 間もなく、机が広げられ料理が並べられるが、その料理の豪勢さは凄い。豪勢といっても並べ方が美しいとか美しく飾られたり、あるいは種類が多いというわけではない。何枚もの大皿に天然のカンパチやタイやカツオなどが大盛り。これを刺身とシャブシャブ、まさに漁師料理というダイナミックナものである。
 これらはすべてクロ兄ちゃんが今朝、定置網で捕った魚であるというから驚き。まずは乾杯から・・・。天然のカンパチのシャブシャブなど都会ではちょっとやそっとで味わえるものではない。まさに刺身三昧贅沢なひとときを過ごすことができた。

『Kuwaffee』
 お腹が少し落ち着いてきたところで、いろいろな方とおしゃべりであるが、先程ネクタイ姿でウロウロしていたおっさんは、今年赴任してきた伊座利校の久米校長先生、偉そうな感じのおじさんは漁業共同組合の組合長、この方が『清おっちゃん』だとは驚き。
 宴会の準備をしてくれていたのが、学校の先生たちだということにもびっくりである。こうなると私も持参した『Kuwaffee』を宣伝し、できれば役だけてほしいと願い、若い先生たちにコーヒーメーカーの準備をお願いして、味わっていただく。
 この集落の人口は130人程度、宴会がはじまった6時ごろにはすでに、その5分の1程度の人たちが集まっている。時間とともに仕事から集落に戻ってきた若者たちが駆けつけてくれ、話はどんどん盛り上がってくる。
 こんな大人数かが集まってくれるとは思っていなかった。用意した『Kuwaffee』ではかなり薄味になってしまった上、いろいろな方との話が弾み、『Kuwaffee』は若い人たち任せ。感想など聴く時間がなかったのだが、今後連絡を取り合って地域お越しの産業のひとつに加えていただければと思っている。
 小さな集落のことであるので、お客さんを迎えて宿泊する施設はないとのことなので、名残は惜しいが、我々は車で30分以上もかけて阿南市のホテルに・・・。このホテルは伊座利へくる途中なので、かなり時間的には無駄であった。
 後で知ったことであるが、伊座利の集落には、体験活動をする人たちを受け入れる宿泊棟はあったらしい。ただ我々が一応農水省の委員の視察調査とのことであるので、はじめからそんな場所に宿泊してもらうのは失礼という意識があったらしいく、話にも出なかったという。

『いじめ』や『不登校』はない
 翌日、またまた山道を伊座利に向かう。今日の目的は、学校を見学することである。海からかなり離れた高台に『伊座利校』がある。ほとんど平地がない地域であるが、学校となると特別配慮があるらしく、都心の小学校よりむしろ広い校庭(しかも土と砂)を持つ小さいながらも瀟洒な3階建ての建物である。
 早速、久米校長先生が出てきて、案内していただく。学校の横には、長期と短期滞在者用の宿泊棟がある。長期滞在棟は子どもの留学のために家族が住む住宅であるが、その一棟には大阪の医師家族がこちらの病院に勤務を変えて移り住んでいるという。しかも、その医師は病院の勤務の合間に週一日地域の人のために『診療所』として活動して、集落の人も安心だという。
 校長室に案内されて学校の説明を受けるが、実践していることに絶大な自信があるらしく、話題がつきない。私は学校要覧や校内の展示物などで十分理解できるのだが、他の委員の方は何事にも興味津々である。
 ここは複式学級、小学校は3クラスに分かれている。その様子を見たかったのだが、時間的に見学をはじめた時には合同の体育の授業になっていた。人数か少なくしかも低学年と高学年の児童が一緒になっての集団ゲームは体力差がありすぎて無理、そこで考えられたのがボールの代わりに柔らかいフリスビーを使った『フリスビードッジボール』という競技、なるほどこれならば多少の体力差があっても可能。よく工夫している。
 たった16人の児童であるが、元気一杯。仲の良いことが一目瞭然である。ここには今話題になっている『いじめ』や『不登校』など全く関係ないはず。まさに学校本来の姿がある。条件さえ許すならば、もっともっと多くの人たちがこの地に移り住んで子育て時期を過ごすのは子どもにとっては最高の幸せになるだろう。
 中学生の体格の良さには圧倒される。なるほど美味しい空気の中で新鮮な魚と野菜中心の食事、ストレスも少なかったら体格も良くなるだろう。話しかけると、はにかみながらの笑顔で応える姿に都会では忘れられた中学生の姿をみることができた。
 学校の見学を終えて、久米校長はキャンプ場に誘う。途中、展望台と思われる場所で集落全体を俯瞰、絶景である。ここは密漁を監視する塔らしいが、実際にどのように使っているかは聞かなかった。
 キャンプ場は海が見える素晴らしい場所にある。かっては県が運営していたらしいが、運営が行き詰まり『伊座利の未来を考える会』に無償で移管されたらしい。そこの国民宿舎だった建物が『アラメ工場』になっており、留学生の保護者の貴重な働き場となっているという。2階は留学生の家族の宿舎になっているという。
 キャンプ場にはかなりのテントサイトがあり、『おいでよ海の学校へ』のイベントには賑わうとのことだが普段は静か。志願してここに住んでいる管理人が一人働いているだけらしい。この地で子どもたちが中心に集落の人たち全員で活動した『隠れ家つくり』が一昨年の安藤財団のトムソーヤー企画コンテストで文部大臣奨励賞に輝いた場であり、私にとっては興味がある施設。なるほどよくできている。
 4日間にわたった『伊座利見聞記』は一応これで終了。明日からはまた従来の世の動きに対する批判を交えたコラムに戻ることにするが、この伊座利で見聞きしたことを安藤財団に知らせすると、きっと喜んでもらえるのではないだろうか。



■著者紹介

杉原 五雄
120自然田舎塾 代表、ネイチャーエバンジェリスト
1943年京都生まれ。横浜国大卒 元渋谷区立中幡小学校校長 校長経験3校12年
どんぐりを発芽させた苗による森創りと生活体験を実践し、高い評価をうける。著書に『ドングリ校長の自然塾』(山と溪谷社)『畑と英語とコンピュ-タ』(透土社・丸善)などがある。
http://homepage3.nifty.com/120donguri/main.htm