平成18年度トム・ソーヤースクール企画コンテスト支援50団体の企画より、
その活動や実施のレポートを順次掲載していきます。


  活動レポート    

NO学校・団体名都道府県企画の概要
20 八王子市立由木西小学校 東京都 「お台場のルーツをたどる旅」
かつて同地の松材を伐り、相模川から品川沖のお台場造営に使われたという資料をもとに、松材が伐られた場所からお台場までをたどりながら、地域の歴史と文化に関心を持たせるという体験活動。

「お台場のルーツをたどる旅」 第5回・貸し切りバスで真鶴・伊豆に行く [12/13]

 日  時:平成18年12月3日(土) 8:00~20:00
 場  所:神奈川県真鶴町、静岡県伊豆の国市
 参加者:子ども18名、おとな16名

 7回シリーズの第5回目。
 今までは徒歩、路線バス、電車を使っての旅でしたが、今回初めて貸し切りバスを使いました。
 バス代には本企画の支援金を使わせていただきました。
 さて、この企画を考えた時、絶対に行きたい場所がありました。
 それが伊豆の韮山です。

韮山にはお台場造営を立案し責任者として活躍した江川太郎左衛門の代官屋敷があります。
お台場のルーツをたどる時、韮山の地をはずすことはできません。
また、真鶴にはお台場造営の原材料として欠かすことのできない
石材を産出した地として石碑が残されています。
実は本校の百周年記念に建てられた石碑もここで産出された「小松石」が使われていました。

 1.岬の町 真鶴を訪ねる

真鶴は「石の町」です。「石工の記念碑」があり、「岩」という地名もあります。
お台場の護岸に使われた石は、「伊豆産」もありますが、
江戸城築城にも使われた真鶴産の「小松石」が数多く使われたようです。
私たちはその「石切場」を見学しました。
お台場の築造に使われた松材の供給地として平塚、津久井、そして本校の学区八王子鑓水がありますが
どこにもそれを記した記念碑がありません。
その上どの地域でもほとんど語り継がれている形跡が見られません。
ところがこの真鶴には「品川台場礎石乃碑」と刻んだ立派な石碑が建てられています。
また現地に行ってわかったことがあります。
それはお台場を作ったのが江戸幕府だけではなかったということです。
真鶴にはそれとは別に小田原藩が作った砲台跡も残されていました。
もう1つわかったことがあります。
それは真鶴にも立派な松林があるのですが、他の場所と違って今でも保存されているのです。
「魚付き林」として大切に扱われています。
ではなぜ残されているのでしょうか。町役場に聞いてみました。
このマツは1670年代に3年間で15万本の苗を植えたのだそうです。
ということはペリーが来たのは1850年代なので、180年以上たったマツです。
きっと大きすぎて杭として使えなかったのではないでしょうか。


品川台場礎石乃碑

小田原藩が作った砲台跡

 2.「海の学校」に学ぶ

真鶴岬の南端に町営の施設「ケープ真鶴」があり、その2階に今年の4月に開校した「海の学校」があります。
校長は3月まで小田原の小学校の校長だった渡部先生です。
先生は休日にもかかわらず私たちのために「海の学校」を開いてくれました。
まずは2階の教室で「海の生き物について」のお話です。
写真や標本を使ってとてもわかりやすく説明してくれました。
夏の潮が引いた時には歩いて島に渡ることができるという話にはみんな驚いていました。
続いて坂道を下って海岸にでました。
上から見るとちょうど鶴のくちばしにあたる所で三方が海に囲まれています。
晴天で風もなく観察するには絶好の日和でした。
渡部先生は今回「ビーチコーミング」という活動を指導してくれました。
参加者が約1時間、海岸を探索して生き物や漂流物を採集してきます。
それを1カ所にまとめて先生が1つ1つについて解説をします。
子ども達の矢継ぎ早の質問にもていねいに答えてくださる姿に頭の下がる思いでした。


海の生物に詳しい渡部校長先生

参加者全員で記念撮影

 3.伊豆韮山代官屋敷を訪ねる

幕末に活躍し、お台場の造営に携わった江川太郎左衛門英龍は
伊豆だけでなく相模国(神奈川県)武蔵国(東京都)甲斐国(山梨県)の一部を支配した代官です。
松材を伐り出した本校の学区にある鑓水も支配地の1つです。
太郎左衛門が生まれ育った韮山は、伊豆半島の北西部、真鶴からバスで1時間ほどのところにあり
代官屋敷は保存され公開されています。
ガイドの方は建物や展示物についてのていねいな説明に対して、子どもたちも熱心に聞いていました。
特に当時の学校である「韮山塾」の部屋に関心を示し、昔の机に正座して江戸時代にタイムスリップし
「パンの祖」とも呼ばれた江川太郎左衛門が考案したパンをいただきました。
お台場の資料を集めたコーナーでは木製の島の模型や、大砲を鋳造する反射炉の模型を見ることができました。
伊豆はやっぱり遠くて帰路は渋滞に巻き込まれ4時間以上かかりました。
でも子ども達が積極的にレク係をかってでて、楽しく過ごすことができました。


説明をよく聞く子ども達

私達を楽に運んでくれたバス




支援団体活動レポート