清里わんぱくスクール2002
主催団体 (財)キープ協会 自然学校
実施期間 9月21・22日

 「清里わんぱくスクール」は、通年で計11回行われる。コンテストへの応募プログラムは、当コンテストの指定期間内に実施された、第5回にあたる今回がその対象である。
 今回のテーマは、「中間トライアルプログラム(1)」とあった。これは、春から毎月1回1泊2日で開催されている、同スクールのいわば中締めのようなものだ。

 対象は小学3年生から6年生。31名の参加者は、5グループに分かれ、各班には、リーダーがつく。リーダーはキープ協会の職員と、学生などのボランティアで構成されている。参加する子どもたちは、地元の山梨県内が中心だが、首都圏からの参加生徒もいる。大半は自分達だけでJRに乗り、小淵沢までやってくる。小淵沢へはキープ協会のスタッフが出迎えに行く。

 今回のテーマである「中間トライアルプログラム(1)」は、ビバーク、つまりキャンプである。キャンプ地はキープ協会の敷地内にある牧場だ。八ヶ岳、南アルプス、それに秩父の山々に囲まれたローケーションは、とてもすばらしい。国内でこのような景色のいいテントサイトは、きわめて稀だ。

 さて、キャンプ地に集合した子どもたちは、簡単なオリエンテーションのあと、「選択そうび」というシートが示される。子どもたちは、その「選択そうび」を見て、班内でその装備を割り振らなければならない。例えば、毛布は2枚しかないし、双眼鏡も一台が支給されるだけだ。ここで子どもたちは、このスクールの習得目的である「思いやり」と、「じぶんでする力」が、まず試されることになる。

基本そうび

選択そうびを選ぶ

 テントが支給された後、各班は広い牧場の中で、思い思いにテントを設営し始めた。景色のいい場所を選定する班、森が好きだからと、森のすぐ近くに張る班。「選択そうび」の選択にもめにもめ、設営が大幅に遅れる班も現れた。しかし、リーダー達は少しのアドバイスをするだけで、すべては子どもたちの行動に任せ、サポーターに徹しているところが大変興味深かった。「ぺグ」を「釘」などというリーダーもいたが、そんなことはどうでもいいように思えた。

テントの設営
 最近のテントは大変良く出来ていて、かつシステマチックだ。それでも子どもたちは、四苦八苦しながらテントを設営した。テントを張るというのは、別段、難しいことではないが、自分達の手で寝る場所を確保し、生活の場を作り上げるという基本を学ぶには最良の手段であり、重要なことだ。

 つぎは、食事の用意だが、今回は飯盒で米を炊くだけだった。メニューのカレーは、自然学校の方で用意している。しかし、薪を拾い集めて火を起こし、米を焚き上げるのは、大変なことだ。薪がどこに用意されているのだろうと、周囲を見まわしたが、それらしいものがないのに気がついた。

薪を燃やす
 すでに日は落ち、あたりは薄暗くなってきた。どうするんだろうと見ていると、子どもたちは、薪を拾いに近くの森に入って行った。数十分して、ようやく枯れ枝を持って、子どもたちは森から出てきた。だが、どう見てもそれは、必要量の五分の一程度だった。各班ともほぼ同じなのがおかしい。

 各班にはマッチ5本、新聞紙3枚が支給された。これだけだ。ここで、子どもたちは薪に火をつけるのがいかに難しいか学ぶ。新聞紙に火はつくが、薪の絶対量が決定的に不足しているため、すぐに消えてしまうわけだ。当然マッチも新聞紙もすべて焼失した。そして、なぜ焼失したかを申し出て、再支給を受けることになる。これが学習というものだろう。当然、薪はたらない。子どもたちは手分けして、すでに暗くなった森の中へ、薪集めに行かなければならない。このあたりで、薪集めの係り、火を焚く係りが、必然的に発生してきたようだ。
 試行錯誤を重ねて、ようやく火のつけ方を学んだ。そして、2時間ほど経過しただろうか、ようやく飯盒の米が焚きあがった。遅い夕食になったが、リーダー達はとくに何かを言うわけではない。途中で、ついつい口を挟みそうになったが、子どもたちに考えさせ、体験させるというのが、いかに重要かということを私達も学んだ。

 テントで一夜を過ごした子どもたちは、翌朝、朝食のあと、「わんぱくの足あとを書く時間&分かちあいの時間」に入った。ここでは、キャンプのこと、飯盒炊爨のこと、仲間のこと、思いやりのこと、自分でする力がどうであったかなどを、「わんぱくの足あと」に書き記す。そして、わかちあいの時間では、今回の体験がどうであったかを、たっぷり話し合うように構成されている。

分かち合いの時間

 さて、主催団体のキープ協会は、日本を代表する環境教育機関の一つである。その傘下にある自然学校がおこなう「清里わんぱくスクール」だから、さぞかし特色のあるプログラムを見ることが出来るだろうと思っていた。だが、実際は「食べる、寝る」という人間にとって基本的な作業を、子どもたちに思いやりの心をもって、じっくり考えさせ、体験させ、生きる力を学ばそうという、きわめてオーソドックスなものであった。
 しかし、これは簡単なようで実は難しく、主催者の能力、実力が試される。進行は一見スローに見えたが、環境教育や自然体験学習に対する、しっかりとした哲学と実践力、さらには訓練されたスタッフが必要とされる、熟成されたプログラムだと思った。